失われた記憶

上の息子は現在4歳8ヶ月。ついに胎内記憶が失われてしまったようだ。育児を始めてから数年が経ったけれど、その中でもこの事は深く私の心を打った・・そんな話を少し書き残しておこうと思う。

胎内記憶について尋ねると、子供は答えてくれる、お話ししてくれる。けれど聞くタイミング・頃合いが大事。一度きりしか答えてくれない事もある。そのうち子供自身の記憶から失われてしまう。などなど胎内記憶についてたくさんの情報がある。そんな溢れるほどの情報の中から夫と相談して決めたのは、3歳の誕生日に聞こう、と。

3歳の誕生日当日は聞いても話してくれる・・には至らなかった。けれど数日後だったと思う、寝る前お布団でゴロゴロ、気持ちも落ち着いている時間に改めて聞くと話し始めた。寝る前のほんのひと時というのは、子供がホントのキモチをお話ししてくれる貴重な時間でもある。当時のメモを見ると・・「ママのお腹の中に居た時のこと覚えてる?」の問いに、含み笑いをしながら時折はぐらかす様にふざけて体をゴロゴロさせながら「ポコポコしてた、暗かった、電車の音がした、寂しかった、苦しかった、おへそのうんち」など言い始めた。「ママの声は聞こえた?- 聞こえない」「ママがお腹を触っていたのわかった?- わからない」「産まれる時、外に出てきた時どんな気持ちだった?- 出てくる時せまかった」

また別の日には「暗くなかった、ママとお父さんの声が聞こえた、苦しかった」さらに別の日には「目は開けなかった、ママの声は聞こえなかった、出てきて楽しかった」「ホース(へその緒)見えた?- ホースって何?見えなかった」また別の日には「早く帰りたくて(外に出たくて)お腹をボンって蹴ってた、暗かった、寂しかった」などなど

こんな問答がつい最近までできていた。1年以上に渡って胎内記憶について話してくれていたことになる。聞き過ぎない様に、でもまた聞いてみたくて。。

つい数日前に、いつもと同じ様に「ママのお腹の中に居た時のこと覚えてる?」と尋ねると少し時間をためていて、いつもと表情が違う様に感じたそのすぐ後、「うーん、わからない、忘れちゃった」と。

なんだかすごく寂しかった。幻想的で夢を見ている様な世界に連れて行ってもらっていたそんな問答の時間だったから。。いや彼にとっては幻想ではなく現実のことだったのだけれど。。

子育てにおいて、天使の時期はすぐに過ぎてしまう・・とよく聞くけれど、子供が天使の時期っていつ頃のことなんだろう。それは小さな子供独特の世界観を持っているそんな時期のことなのかなと私なりに思う。小さな子供にしか見えない何かがありそうな・・隣のトトロの様な世界観。その幻想的で、大人がどう頑張っても取り戻すことのできない様な世界観。子供たちと遊んでいると、よくその世界に連れていってもらえる。胎内記憶のやりとりは私にとって、その幻想的な世界観の核に触れられた様な、そんな体験であった。

胎内記憶を失ってしまった息子は、ファンタジックな時期を越してついに人間界に足を踏み入れたのか・・・ますます目が離せない笑。


共存するというコト

第一子の産後に、友人の勧めでマドレボニータという産後ケアに1ヶ月間通った。バランスボールエクササイズとシェアリングというワークを組み合わせた構成の1回2時間ほどのクラスで母子で参加できるもの、8組ほどの参加者とインストラクターがひとり。バランスボールエクササイズで体にフォーカスした後に、与えられたテーマに対して自身の気持ちや思いに向き合い言葉にして共有するシェアリングが行われる。この後半のワークに惹かれて、第二子産後も通ってしまった。ここでは誰々ちゃんのママとしてではなく、自分個人の思いや考えや意見を、そして自分が何を選択していくのかを軸に、ワークが展開される。

「子供と共存するということ」 ここで出会ったインストラクターの方からもらった印象的なこのメッセージ。このずっと引っかかっていたメッセージについてもう3年以上も経った今、なんとなくわかり始めた気がして・・その感じを今夜は書き残しておきたいと思う。

昨今、”共存する”なんていったら新型コロナウイルスとの共存ーーが真っ先に頭をよぎりそうな状況だけれど、緊急事態宣言がひとまず解除されたものの今現在の私たち家族の状況は、ほぼ毎日私と4歳息子・1歳7ヶ月娘の3人で過ごし、夜になると夫帰宅、最近は在宅ワークもしばしば。思ってもみなかった新型コロナウイルス感染症のパンデミックで、この4月から予定されていた自身の育児休業からの復職が延期になった。

3月から上の息子は保育園を自粛、4月からは下の娘も息子と同じ保育園に入園予定であったが入園式も中止。そんなわけで日中子供2人とずっと過ごす毎日がかれこれ3ヶ月ほど経過した。・・手元でずっと子育てしてきたママ達にとっては当たり前の日々なのだろう。けれど私にとっては毎日、土日祝日みたいにずっとずっと子供達2人と過ごす日々というのは考えてみたら初めてのこと。コロナが私にもたらした、言ってみたらギフトみたいな時間である。

この乳幼児期に2人とのこんな時間はなかなか取れないぞと、これはもう子供達ともみくちゃで遊んじゃう日々にしてしまえ笑とーー自粛しながらも毎日たくさん遊んで過ごした。せっかくの数ヶ月と・・子供たちの〜したい!に私なりに寄り添っていたーー・・つもり。ギフトとはいえ、育児の背中合わせにはしんどさもあることはもちろん分かっていたのだけれど、力んでいたんだろう、年もある・・体が悲鳴をあげてはじめて身体が疲労していることに気がついた。人生初の帯状疱疹を患ってしまった。

共存の話に戻したい笑。

それがあって以降はもっと足元に意識をおくようなイメージ、そんな風に子供達と毎日を過ごすようになった。下の娘がもっと赤ちゃんだった頃にしていた様に、子供が昼寝したら自分も一緒に昼寝してしまう。上の息子はエンジン全開みたいなパワフル系だから笑、家では決して昼寝はしないのだけれど。言葉のコミュニケーションができる今だから、事情を伝えてママは寝るよと宣言できるし、グズりながらも4歳なりたてなりの理解を示してくれている・・と信じたい笑。遊びも、自粛しながらもなんか面白いことができないかなって、人が多くないそれでいて少し日常から離れた場所はないかなと・・あくまで自分の感覚でそう背伸びして思うのはやめた。玄関先や近所や家の中で遊べる素朴な遊びの中に、もっともっとの遊び込む感じやはしゃぐ姿を見つけられる様になってきた。自分が子供達としたいと思って始めたことにも、やんわり付き合ってもらっている。種から野菜を育てる。毎日の水やりを一緒に楽しめないかと思って始めたけれど、子供達の興味はもっぱら水。これがあるだけでテンションがズドーンと上がる笑。そんなこんなで水やりというよりは、水時間を一緒に過ごす毎日。

自分のしたいことやりたい項目を大々的に掲げないことーー。ただなんとなく頭の中に、できるといいなという項目をうっすら置いておくと、子供達と過ごすせわしない時間の流れの中にも、待っているとその吉日吉時間がやってくる。これを発見できたことが、私の中に共存という引っかかりワードを呼び起こすことができたきっかけかもしれない。

子供達と過ごしながら自分のことも一緒にしてしまうとか、子供達と時間を共有しながらやってくるタイミングに乗ってしたかった事柄の時間に充てるとか・・なにやら共存しているって私にとってはこういう感じなんじゃないかって。

復職してしまうとなかなかこんな時間軸の中で過ごすことはできないのだけれど。子供達とずっと一緒に過ごすことのできる時間・・共存だのなんだの、どうでもいいかという気もしつつーー。かみしめながら過ごしている。


ヤキモチに挟まれて

嫉妬やヤキモチは産まれてからすぐにもつ感情なんだ…母乳相談室での助産師さんとのおしゃべりの中で聞いた話。小さな赤ちゃんでも兄弟にママのおっぱいを奪われると睨みつけて嫉妬するような姿が見られるという。

ママのおっぱいをとるな、ママの膝の上をとるな・・・子供達の静かなバトルから生まれるヤキモチ・嫉妬。そこに挟まれた私の複雑な気持ちを書き残したいと思う。

ある晩、子供達とお風呂から上がり寝る準備も整い、いつもなら3歳の息子の歯磨きを急ぎ先にして、9ヶ月の娘が待ちわびている授乳寝かしつけをしながら、息子には絵本や紙芝居を読み聞かせて寝かしつけをする・・そんな流れがある中、この日は上の息子が歯磨きではなく「ぼくもおっぱいしたい!」と言ってきた。。息子には1歳になってすぐに断乳をしてしまった背景があり、3歳の今はもちろんおっぱいを定期的にすることはない。いわゆる赤ちゃん返りである。

あまりにも大っぴらなこの展開にやや困惑しつつも、私の「いいよー」を聞くか聞かないかのタイミングで私の膝の上に入ってきた息子。そのやりとりをじっと見ていた下の娘は、息子がおっぱいを口に含んだ瞬間、見た事もない歪んだ表情で私を見つめながら泣き出した。この時の娘の表情は印象的で今でも忘れられない。。とっさにしてはいけないことをしてしまったーという思いにさせられた・・そんな表情だった。

待ちわびていた娘にはごめんねと言いながら背中をさすってあげるしかなく、おっぱい中の息子に早く飲み終えて代わってあげてねとも言えないし・・・。

いつも膝の上でおっぱいをしてもらっている妹に嫉妬して赤ちゃん返りを見せた息子の姿と、ママのおっぱいをとられたとヤキモチを焼いて泣く娘の姿。そんな二人に挟まれて、言い表しようのない動揺した気持ちが胸を打った。息子が先におっぱいをしてる所を見たらきっと娘はグズって泣いてしまうだろうな・・とか、息子はどの位で満足するんだろう・・とか、事の前になんとなくよぎっていた考えが吹っ飛んでしまう位、この場をどうしたらいいのかわからなくなってしまった困惑したキモチ。。

結局どうすることもできず、息子が満足して終えるまで娘は泣き続け、その後娘の順番が回ってきて落ち着いた。その時間困惑していたのは私と娘。息子は至っていつものペースいつもの雰囲気を放ったまま満足そうにおしゃべりをしていた。

その後もこういう場面は何度もあったけれど、大っぴら加減でいうとこの時が一番。それだけ息子の気持ちもカサついていたんだろうかー、それを満たしてあげられたのであればアレはあれで良しとしていいんだろうか、けれど娘の気持ちは。。こういうぐるぐるは育児中数え切れないほどある。

大人になってもある嫉妬やヤキモチ・・・これはずっとさか上るとママにまつわるものから始まっているんだなと、身をもって感じ、考えさせられた。そんな出来事であった。


さいごの新生児期

娘を授ってまもなく4週間、新生児期も終わろうとしている。これから乳児期に入る娘・・ますます「生」を帯び、どんどん自由になっていく様。そんな娘からは少し置いてきぼりをくらっている私のキモチ・・。終わってしまう新生児期がなごりおしくて、いとおしくて。。

2年前、長男を22時間かかってやっとの思いで出産した後に一息つく暇もなく押し寄せてきた初めての育児。完全にテンパっていた。あんなに怒涛の毎日を送ったのは人生初と言っても過言ではないと思う。そんな日々の中で、息子の新生児期はあっという間に過ぎ去ってしまった。後日母子で参加する赤ちゃん教室か何かで一緒になった、まだまだふにゃふにゃの1ヶ月過ぎたばかりくらいの赤ちゃんを連れているママとやりとりした際に、あぁ・・息子はもうとっくにあの新生児時期を過ぎてしまったんだなって、1番近くでみていたはずなのになって、なんだか残念な、できるのならば時間を巻き戻してもう一度味わいたい様な、そんな気持ちになったのをよく覚えている。

どうして新生児期がこんなにも特別なんだろう…

私にとってはこういう理由。

確かに私から産まれてきたのだけれど、どこか別の世界からやってきたかの様な別の生き物感を放っている…なにか特別なエネルギーをまとって。。特にあの肩背中周りの感じは…これだなぁやっぱり、新生児。と、ぐっときてしまうものがある。勇ましささえ感じるあの長い柔らかな毛で深々と覆われている動物感あふれる肩背中周り。そしてなんといってもM字に開脚することでまるまってしまうひざから下、足までのすがた格好がなんとも可愛らしくて。歯のない歯茎も可愛らしい。白い歯が点の様に頭を覗かせると、なんだか少し残念な気持ちさえしてくるほど、泣いた時に見せる歯茎むき出しのお口はなんともいえない笑。手のひらにはまってしまうほどのあたま・・なんて小さいんだろう。当たり前のことなのだろうけれど、みんな誰しも元はこんなにも小さかったんだ。小さくて柔らかくてまるまっていて。。

赤ちゃん特有の愛らしい寝顔をみていると、新生児期からの子育てを再びできることの喜びで満たされるのです。

育児本の著者である三砂ちづるさんの文章にこんなことが書かれている。読んでいて思わず止まり写真を撮ったページ。。

「いまあなたのひざにいるお子さんのなんといとおしいことか。母として、いちばん良い時期。いちばん印象に残る時期。あなたの子どもはいつもその大きさで、あなたの夢の中で位置をしめ続ける。あなたが人生でつらいことがあったとき、あなたの子どもたちは、そのような大きさであなたの夢にあらわれる。それが現実と交錯するいまこそが、あなたの幸いでなくてなんであろうか。涙ぐむようにして、幼い子どもをかきいだく喜びにひたってほしい。それはひとときの至福であり、長き人生のうちで一瞬にして失われる、人生の最も美しい時期だからである」

この文章は2、3歳くらいの子どもの事を書いているのだろうけれど・・

私の中での位置をしめ続けるであろう新生児期の記憶。涙ぐむようにして今、喜びにひたっているのです。

(現在産後5ヶ月)

しんどい後期

産後にやってくる、喜びと背中合わせの試練を前に、妊娠後期の事を書き記しておきたい。こんなにも重怠くしんどい感覚すらも1ミクロンも思い返せないくらい、産後には産後のもろもろがあって、それらにあっという間に埋め尽くされて無かったものの様に忘れ去られてしまうから…

入院中のベッドの上から、2回目の出産を直前に控えて。。

お腹は一見、柔らかく膨らんでいるように見えて、実際はパンパンに張り詰めている。かなり大きく、人並み以上にせり出た私のお腹…皮一枚の下にはすぐに赤ちゃんがいるんじゃなかろうかというくらい、手やら足やらで内側から押されるとその度によじれてピリピリと亀裂が入るようにチクチク痛みがある。痛みはこの段は皮膚が張る感じの痛み。

張りの種類によっては、お腹が変形しながら内側から外側広範囲に広がっていく痛みに近い違和感を伴うものも…。子宮収縮によって硬く固く張り詰める。。しばらく動けない。。お腹の中から表面まで石みたいにカチカチ。

胸のアンダー部にはパンパンに張り詰めたお腹が接して、お風呂の椅子に座るときや湯船につかるときは胸と腹部が一体となった感じでくっつく。胸のアンダー側もお腹側も、お互い圧迫し合っている感じの違和感がなんともいえない。

前にせり出たお腹は、お風呂の椅子の様な低いものに座ると、大腿部から膝にかけてぴったりと乗っかってしまうくらい驚くほどに前に突き出ている。考えられないくらい皮膚が伸びている。。鏡で姿を見るたび自分でもおののくほど。。。

あ~またかぁ…とシンドさが倍増するシチュエーションは、何か物を地面に床に落としてしまったとき。これを拾うという行為がこの上なく気だるくシンドい。上体を折りたたんで物を拾う格好が、ヒョイとできない。やっとの思いでエイっと拾って今度は上体を起き上がらせるのに一苦労。腹圧がなるべくかからないように呼吸しながら…それでもエイショ、ヨイショと自然と息が漏れてしまう。

妊娠後期に入ったばかりの頃のお腹のハリ感と、終盤のお腹のハリ感とは、全く別物だなぁと感じる。1人目の妊娠中、後期終盤のあまりの動けなさ度合いにおどろいた記憶があるけれど…今まさに、そうだそうだこんな感じだったとまた今それを実感中。。

単なる子宮収縮しているハリ、硬さだけでなく、中で赤ちゃんが固まって動けないんじゃないかと思う様なよじれた感じ、腹部の奥底の方から掻き回されるようなよじれと共にやって来る収縮。動けなくなってしまう。

夜、寝る体勢になり横たわると、子宮口ってここなんだろう、ここから頭が出て来るんだろうなと分かるくらいに内側から赤ちゃんが接しているのか押しているのか…その部分が圧迫感をうけるたびに、膜が破けて羊水が出てきてしまうんじゃないかと思わず身をかがめてしまうことが、ここ数日よくあった。。

日が明けてすぐ、深夜に破水。入院してから今15時間くらい経つ。分娩準備室のベッドの上でこれを書いている。

まだ陣痛がこない…もう間もなく、またあの陣痛との戦いが始まるのかと思うとひるんでしまうけれど、、

赤ちゃんを導けるよう、がんばろう!

ぼく おにいちゃんに なるんだ

現在第2子を妊娠中、36週をむかえている。産休初日、気になっていた映画を夫と共に観に出かけた。細田守「未来のミライ」。

人生に起こる愛にまつわる攻防がいろいろある中で、4歳の男の子が、妹が産まれたことで親の愛を奪われる初めての体験をする・・という所から物語が進んでいく。最後には、ぼくはお兄ちゃんになったんだと、4歳児なりに状況を受けとめる・・という映画。

ある日ふとこの映画監督、細田守さんのインタビューをTVで見かけてから、出産前に「未来のミライ」を観たいなぁと思っていた。自分たちに起こり得る状況とリンクしている部分が多いんじゃないかと思ったから。。

先日いつものように息子とお風呂に入っていた時の事。「ぼく おにいちゃんに なるんだー」と言ってきた。ドキッとした。いわゆる、赤ちゃんがもうすぐ産まれることが息子なりに分かっているから、、それで言っているんだよね?! そういうことだよね?! 心中でぐるぐる。もうすぐお兄ちゃんになるっていうフレーズは園の先生や周りの大人が表現しているのを真似したのかな。。映画を観るずっと以前から私の立場としては、お兄ちゃんと表現するのには違和感があったものだから(お兄ちゃんになってねと言い聞かせるようで抵抗があり)・・その発言には驚いたし、ただ真似しているだけならOKだけれど、2歳児なりにずいぶん背伸びしちゃいないかい?と。。

数週間後我が家にも赤ちゃんが産まれるであろう状況の中で、今まで息子ひとりに注がれていた親の愛情が分散されることを目の当たりにした時に、息子がどんな想いをするんだろう・・そしてその想いに気が付くことができるだろうか、寄り添う事ができるだろうか、気持ちの余裕があるだろうか・・自信がない。。なんだかまだ何も起こっていないのに、息子に済まない・・という気持ちさえ出てきた。。

映画が伝えたかったメッセージとはきっと全く別の部分で、自分がうっすら抱いていた向き合おうとしなかったけれど一番気になっていた想いが前面に押し出されてしまった・・そんな感じ。

「ぼくおにいちゃんになるんだー」お風呂で言われた時に、少し間をおいて私から伝えたのはこんな返答・・「赤ちゃんになっちゃってもいいよ」。

 

 

ダイジョウブ?と言われた日

息子が1歳10ヵ月を過ぎた頃、私に向かって「ダイジョウブ?」と言ってきた。ハッとした。言葉を発するようになってからこの時初めて、人の様子を伺うような発言をしたものだから・・。でも肝心なことに、私が何をしていた時にそう言われたのかを全く覚えていないのだけれど。。。

それは私が息子に向かってよく発する言葉。「寒くなぁい?だいじょうぶ??」「麦茶のむ?のど乾いてなぁい?だいじょうぶ??」とか、普段の何気ない場面で何かとよく言っている。

息子のおしゃべり・発語は1歳7ヵ月を過ぎた頃から盛んになってきた。人はこんなにも早い時期から言葉を発し始めるのかと、そしてこんな風にしておしゃべりが豊になっていくのかと、初めての子育て生活の中で発語の成長を耳にして感じることは、ココロのド真ん中に響く、喜びと驚きの経験なのである。そして2歳4ヵ月の今現在も、現在進行形の成長を見せてくれている。

ベビー時代の動画を今見返して思うのは、あーあーとかうーうーとか・・いわゆる喃語を発していた頃の表情や眼の動きは、言葉を発する様になった今現在のそれとほとんど変らない(とても近い感じ)ということ。当時は、喃語を発する息子の気持ちってどんななんだろうってよく思っていた。

きっと、喃語であろうと言葉であろうと、外に発信している声がどんなであろうかは置いといて、内側ではベビー時代も2歳の今も、ある程度同じ近い感覚で、ママのお父さんの周囲の刺激を受けているんじゃないかなと・・そんな風に思う。内側の発達は、発する言葉の成長とはまた違った次元で進んでいるんだろうと。。こういうおしゃべりが出来るようになってきたから問いかけもこんな風にしてみようとか・・息子の言葉の成長度合いに沿って問いかけも変えていく傾向が私にはあったけれど、ベビー時代も意外と今現在と変わらないくらい豊かに話しかけていっていいのかもしれない笑。うん、お腹の2人目はそんな風に向き合ってみようかと、そんなことをふと思っている。

そうは言ってもやはり、自分が発した言葉に今までにない言葉や行動で反応が返ってくる・・その外側の反応の変化には驚くほどに心が動かされる。今まで一方的に発していた言葉を、今度は受け取る立場になる。そのうち言葉のキャッチボールがはじまるのかなぁ。私のドジを注意してきたり、怒ってきたりするのかな。。

ママだいじょうぶ?なんて言われた日には・・なんのやり取りだったかすっかり忘れてしまう程ハッとしてしまった。まるで今まで何度も発してきたお馴染みの言葉であるかの様に自然に言ってきたものだから・・。

印象的な発言はいろいろあるけれど可愛いらしいのは「~ちょうだいな」笑。なんて可愛いんだろうと目じりが下がりすぎてしまう程・・笑笑。目を耳を離せない!そんな時間を過ごしている最近です。

家族になっていく

ずいぶん日があきました。。
現在息子は2才を迎え、一言で表現するとしたらこの言葉がしっくりくる・・・「元気盛り」。
朝起きてから夜眠りにつくまで、エネルギーに満ちている。ずっと動き回っているという意味では決してないけれど、見たい知りたい触りたい口にしたい・・もちろん家の中だけでは収まりきらない、お外で思いっきり身体を動かしたい欲も盛りである。
1才7ヵ月位から豊かになってきた発声発語も2才になった今、主語述語をくっつけて大人に伝えてくることも出てきた。この発声発語についてはまた別の回に書き残しておきたい。。

この4月から新しい保育園に転園した。
5月下旬の今でも、ほぼ毎日登園時にはグズったり時には泣いてしまったり・・・ふだんからどんな状況でも通してご機嫌な息子も、2才という周りの状況がよく把握できる年齢になって、NOの意思表示が豊かになってきたとも思える。

今日書きたいのは、そんな状況の息子をめぐる夫婦のやりとり・行動から感じたこと。ゆっくり家族になっていくってこういうことかなぁと私なりに。。

保育園に朝息子を送って行ったある日、いつものように「や~や~(嫌だ)」とグズり、最終的には大泣きしてしまった。ベビー時代を含めて今までに聞いたこともないような悲鳴のような泣き方で・・。連れて帰るわけにもいかないし、どうしようもないので戸惑いながらも先生に息子をなんとか預ける。この上なく後ろ髪引かれる想いを引きずりながら保育園を後にした。。
今日は預けずに側で過ごしてあげるのが良かったんじゃないか、そもそも転園させたこと自体が良くなかったんじゃないか、今後のことも考えての転園は所詮親の都合でしかなかったんじゃないか、仮に元の保育園で今年度も過ごしていたら、馴染みの顔ぶれの中で今日も安心してニコニコで居られたんじゃないかーー。。ぐるぐるぐる。。。

その日迎えを担当する夫に、そんな送りの様子をメッセージ。
返信に、夕方迎えにいったら公園でゆっくり時間とって遊んで帰るかな・・と。
朝の息子の気持ちに寄り添えなかった私なりの気がかりに思っていた部分を、近い感覚で夫なりに感じとって埋め合せを。。これを読んだとき、私の中のもやもやのぐるぐるスピードが減速して、前に飛び出した戸惑いの気持ちが少し引っ込んだ。私が迎えに行くとしてもきっと同じことをしただろうなぁ…と。少し救われた。。

そんな些細なやりとりに、息子を取り巻く3人、家族になっていく感じを覚えた。
そりゃもちろん今までも家族なんですけれど・・
こうやってもっと家族に、ゆっくりゆっくりなっていくのかなぁと。。

もちろん、息子の未だに保育園を拒絶する想いの行方は、私たちの行動とはまた別の問題。
埋めあわせるとかどこかで帳尻を合わせるとか・・そんなことではないのだろうと思う。
どうしていったらいいのかこれからも試行錯誤。。

こんなことを今夜、書き残しておきたいと思ったのです。

さいごのおっぱい

諸事情により、息子が1歳2週間をむかえた時点で断乳することとなった。
この頃の息子の成長度合いは・・伝い歩き、離乳食はかなり咀嚼ができる完了食、発声は多いが言葉のおしゃべりはまだ、という状況。
断乳当日の朝。朝のこの授乳が「さいごのおっぱいであること」を息子に言葉で伝えた。
そのとき少しのあいだ動作を止めた息子の様子は、その言葉になにか引っかかりを感じている様にもみえたし、聞こえない振りを装っているみたいにもみえたし・・・目を合わせてはこなかった。その引っかかりや違和感の正体を、肌で、漂う空気感で、感じていたのかもしれない。しばらく前から心積もりをしていた私と、ある日断乳を宣言された息子・・そんな心積もりの空気感をも幼児なりに察していたか・・・それはわからないけれど。

一日の栄養をほぼ離乳食から摂取している今、授乳の意味合いはスキンシップ・・なのだろうと思う。
これから先、ずっと育児というかたちで息子と向き合っていく中で、この上ないスキンシップが授乳というものだったんじゃないかと思う。
この上ない・・とは、思うに授乳というスキンシップから得られる安心感とか落ち着く感じとか柔らかさあたたかさとは、吸う側にとって胎内に居た時の感じに限りなく近いものなんじゃないかということ。そして与える方にとっては、溢れる想いを表現する最大の行為なんじゃないかと・・・今はそんな風に思っている。

吸うことを自然に止めるまでじっと待ち、もういいの?もうさいごだよ?と聞きなおし・・、さいごのおっぱいは終了した。
ここからもう一仕事・・終了の儀式。
青色の薬液で両胸に顔の絵を書き、それを息子に見せて「これでおっぱいバイバイね」と伝える。やさしいお母さんの笑顔の絵。
それを見た息子の反応は、一瞬立ち止まり、なにか面白そうなものを見つけたかのような表情で顔の絵に向かって来ようとした。
終わりだよと真剣に伝え、わたしは衣服を着た。その後の肝心の息子の様子は正直きちんと覚えていない。自分の溢れてきた気持ちをどうにかすることで精一杯だった。
自然と涙が出て止まらなかった。泣きながら息子にかけた言葉は「ごめんね」。断乳することに対してごめんねと。
止まらない涙の理由は、息子はまだ続けたいだろうに甘えたいだろうに、私の方から少し早めに授乳を終わらせてしまったこと。
息子の様子は、なんとなく大丈夫そうであったことは覚えている。おそらく断乳宣言を聞いたときよりも、顔の絵の儀式よりも、そのあとの涙がとまらない母の姿に戸惑ったんじゃないかと、思う。

宣言後、いつもならここで授乳・・というタイミングになると、猛烈に遊んであげていた。かくれんぼやら追いかけっこやらクッションにダイブやら・・授乳のことなど思い出させまいとエネルギッシュな遊び方で笑。
一度、どうにも寝付けなくて授乳をせがまれた事があった。辛かった。
いつも授乳のときに使用していたクッションを引きずってきて「どうしてコレで準備してくれないのか!」と泣いて泣いて訴えてきた。
ふだんさほど強く泣かない息子が、全身で泣いて訴えてきたあのときの感じは、今も鮮明に思い出すし胸が苦しくなる。。
このときに感じて刻まれた気持ちは、まだまだ短い育児経験の中でも強く印象に残っている。

断乳に関して相談や指導を受けていた桶谷母乳相談室では、助産師の先生から断乳手技後に「おめでとうございます」と言われる。
違和感があった。おめでとうございます・・かぁ、何に対して??と。
わたしなら授乳期間を終えた自分のおっぱいに何て声をかけるだろうか。。
おつかれさま・・かな笑。

おなじ時をずっと一緒に生きてきたというのに・・

途中まで書いてはまた今度また今度笑・・そんな記事が増えてきてしまった。3ヶ月前に書いていたこの記事からUP。

この感じをなんて言ったらうまく伝わるんだろう・・。目の前に寝ている息子はもうまもなく生後11ヵ月を向かえる。産まれてからずっと一緒(数時間、夫や母に預けて出かけたことはあるにしても笑)におんなじ時間を生きて過ごしてきたというのに、こんなに大きくなったその成長過程を私はどれだけ見逃してきてしまったんだろう。そんな風に、驚くほど速いその成長スピードに唖然としてしまう。いつも一緒に一番近くに居たはずなのに、どんなときも側で見守ってきたつもりだったのに、いつの間にかこんなに大きくなっている。
赤ちゃんからいつの間にか幼児になろうかとしている・・。そう、いつの間にか。。

その時その時の育児を笑って噛みしめて踏ん張って過ごしてきた。けれど今目の前に存在する成長した息子とそれまでの積み重ねの日々とがまるで全然別物であるかのような、がっちりリンクしないというか・・そんな気にさせられてしまう。「いつの間に」感が半端ないのである。
これまであんなこともあってこんなことも乗り越えて、こんなに大きくなって成長したなぁとしみじみする気持ちと、いつの間にこんなに大きくなったんだろうと唖然とする気持ち・・・どちらかというと後者の方が強いのである。

こんなに近くで過ごしている私ですらそういう思いがあるくらいだから・・たまに会う祖父母や叔父たちにとってみれば「大きくなった」感は相当なのだろう。極端なはなし、自分が子供のころに年に一度帰っていた田舎にて、祖父母に第一声「まぁ大きくなって!」と毎度言われていたその頃は、内心またそれか笑と子供心に思っていたけど、いまは言っている側の気持ちがよく解る。

この「いつの間に」感は、わたしに「置いてきぼり」感を残していくのだ。
こんなに近くにいたのに何を見ていたんだろう何を見逃したんだろう・・いやきっとそんな事はないのだろうけれど、育児って神秘。
エネルギーに満ち溢れ、生の力で輝いている存在を目の前に、そんなことを感じる日々を過ごしている。