わずかなしぐさに想いを

赤ちゃんのしぐさが一つ増えることって、こんなにも心の深いところから想いがあふれるものなんだ・・・側でずっと成長を見守っている者にとって。。日々よく感じるそんな想いを書こうと思う。

息子が生後3か月を過ぎた頃・・・一緒に電車に乗っていると、少し離れたところにいたベビーカーに乗った赤ちゃんに目がいった。体格や表情の感じから、息子と同じくらいの月齢かなぁ~と思い、なんとなく気になってしばらく見ていた。ママがその赤ちゃんにペットボトルを近づけると、むにゅむにゅとなんとなく両手を伸ばして触ろうとする様なしぐさをした。掴んだりとか持ち上げたりは出来ないけれど、ただ目の前の興味のある物に両手を伸ばす・・そんなしぐさ。それを見て、あぁ息子よりも月齢がもっと進んでいるベビーちゃんだなぁと。まだ息子は物に向かって両手を伸ばすことはしないから・・そう思ったのと同時に、赤ちゃんのわずかなしぐさの違いに反応している自分にはっとした。・・赤ちゃんのわずかなしぐさひとつひとつの背景に、側で見守る人たちの想いがあると感じていたから。。

生後4か月を過ぎた今では、息子は目の前の興味のある物に自らの意志で両手を伸ばし握ったりつねったり引っ張ってみたりすることができるようになった。これができるようになるまでに、当たり前の事ではあるがひとつひとつのしぐさの積み重ねがあった。

紐でつり下がった蝶が、仰向けになった赤ちゃんの目の前少し離れたところでゆらゆらしている、そんな遊び用具があるのだが、息子は生後2か月過ぎで腕をぶんぶん振り回していてたまたまその手が蝶にあたって興味を示す事からはじまり、3か月過ぎでは蝶を目掛けてぶんぶん腕や手を動かし、そのうち手を握ったり指も動かすようになってきて・・伸ばした腕をホールドして蝶をいじることができるようになり、4か月を過ぎた今では両手を伸ばして握ったりつねったり引っ張ったり・・。両手を伸ばして蝶をいじっている姿を見かけた時にはハっと驚くほど成長を感じた。

そのひとつひとつのしぐさの積み重ねを側で見守っていて、何かができる様になった(いやまだ進行形なんだろうけれど)その時を目の当たりにした私の想いといったらどう表現したら伝わりやすいだろうか・・。その嬉しさは今まで響いたことのない心の何処かからあふれてくる、そんな想いであった。

私自身、無意識に当たり前のこととして日々行っている動作ひとつひとつの事について、それができる様になるまでの過程の事なんて考えたこともなかったし、その背景に側で見守ってくれていた両親の想いがあったであろうことなど、思いもしなかった。

育児は子供・夫に想いを巡らせると同時に、自分もこんな風に育ててもらったのだろうかと自身の両親に想いを寄せる・・そんな時間であると、今思っている。

・・・にしても、私が手を貸さずに出来ることが少しずつ増えていく息子は、側で自由になっていく・・・そんな風にも見える。成長を見逃すなんて惜しいこと・・できないなぁ。。

 

 

ママたちをリスペクト

世のママたちをリスペクトせずにはいられない。。産後4か月の今でも強く強くそう思う、そんな話を書こうと思う。

2016年5月6日3920gのbigな男児を出産した。予定日を過ぎたある日の早朝、お腹の息子はさてさてそろそろと・・・出てもいいかなのサインをくれ、その後22時間かけて40週3日で産まれてきた。経過順調であれば陣痛間隔がどんどん短くなっていくところ、初産のわたしの場合、微弱化といって間隔が逆に長くなってしまったりと順調には進まず・・子宮収縮を促す点滴の助けをかりることとなった。

なにしろ初めての経験ゆえに、すさまじい陣痛の波の中で息も絶えだえ必死に・・呼吸に集中。「必死」という言葉を、真意を伴って使えている気がする。。いったいこの終わりのない繰り返す波のどのタイミングで、どんな状況で産むんだろう・・・。痛みという一言では表現できない、そんな時間。全身を震わせて、頭から汗だくで、終わりの無い私にとっては恐ろしい世界にうずくまっている、また波が押し寄せてくる。。そんな傍らでサポートしてくれていた夫や母のマッサージの手の温かみを感じる瞬間は、少し現実の世界に戻れた気がしていた。ふたりのサポートなしには乗り越えられなかった、涙が出るほどありがたい・・・人をサポートするって、こういう事をいうんだなぁと心から思った。。

出産直前に受けたyogaレッスンで先生が教えてくれた一言、「陣痛はエネルギーの波」。波はよせてはかえす・・必ず引くタイミングがあるから、呼吸を合わせて・・。ひたすら、エネルギーの波、エネルギーの波・・という言葉を陣痛の波に合わせて繰り返し頭の中で叫んでいた。

「お母さん赤ちゃん頭見えてるよー」と言われてからは、何か違うステージにきたような、それまでの恐ろしい世界とは違う・・けれど必死に呼吸呼吸呼吸・・・。あぁそうか、この延長線上にイキむという場面がくるのか・・と、この段になって初めて体の感覚として産むタイミングが想定でき、そして実際の出産に至った。

「出産」という体験がわたしにとっては衝撃であった。10か月の集大成・・たしかに。産後4か月経った今でも、心があの日に置いてきぼりになっている・・そんな気さえする。周りの女性達、ママ友・・「痛かったね~」と話すけれど、正直そんな上っ面やり取りでは収まらなすぎる・・と黙ってしまうクソ真面目なわたしがまだ居る・・笑。いや痛かった凄かったとか、出産の仕方がどうとか言いたいのでは決してなく、なんだろう・・まだうまく言えないけれど、これが一人の命を産みだすという事なんだ、というか。。

以降私は街なかで子連れのママ達を見かけると、あぁあのママもこのママも。。自転車の前と後ろに2人も乗せてぴゅ~と走ってくママなんて、まじリスペクト。3人の子を産んだ実母・義母に敬意を。

こんな風に自身を産みだしてくれた両親に心の奥底から感謝したいし、この度わたし以上に命がけでこの世に出て来てくれた息子に、頑張ったで賞を!

あの人もこの人も

出産して1か月くらい経ったある日、保育園の見学に出かける用事があった。それは「産後このくらいの時期なら行けるでしょ~」と一応、産前に考えた末に入れた予定だったのだけれど。。

はじめての育児・・わたしの産後1か月頃といったら、実家・夫の大いなるサポートを受けつつ、180%赤ちゃん漬けの毎日。毎日といっても、1日1日の感覚があいまいで気がつくともう日が暮れはじめていて、ヘトヘトな夜明けを向かえるとまた朝が来て・・の連続。お世話に追われて折れそうなココロを救ってくれるのは朝一番の赤ちゃんの寝顔だったり・・。

そんなどっぷり赤ちゃん漬けの日々の中、保育園見学にいくためにひとりで2時間ほど外出した。母に息子を預かってもらい泣いちゃったらミルクを・・とお願いして。出掛けるにあたっては「こんな余裕のない時期にわざわざ保育園見学の予定いれたのはドコのドイツだーっ」と自分への突っ込みが止まらなかった泣。。産後4か月になる今考えれば、息子連れで行くことも出来たんじゃないかとも思えるけれど、当時のわたしにとっては冒険すぎて、おっかなびっくりすぎて・・ひとりでサッと用事を済ませてなるべく早く戻った方が息子にもわたしにもいいように思えた。母には大変な思いをさせてしまったけれど・・。

さて書きたかったのはココから笑。

久しぶりに電車に乗り、どうしようもないソワソワ感をおぼえながら長椅子に座った時のこと。向かいに座っている人たちをまじまじと見入ってしまったのだ。あのおじいさんも、このおばさまも、そこのお兄さんも、あの人もこの人も・・・はじめはみんな赤ちゃんだったのだと!!いやあたりまえの事なんだけど、それでもそのことが信じられないくらい、アノ赤ちゃんだったんだなぁ~と。無防備で、それでいて誰にも敵わないようなエネルギーを秘めている様で、柔らかくて小さいけれどものすごくおおきな存在感を放っていて。・・・しばらく唖然としてしまうくらい、そんな風に感じた。

育児をしていてよく思うのは「こんな風に自分も育ててもらったのだなぁ」ということ。自身の赤ちゃん時代の記憶はない分、自分が育児をする立場になった今、そのない記憶を埋めるようなそんな時間を過ごしている気持にもなる。

・・・2時間ちょっとして家に戻った。駅から家まではもちろん小走り・・笑。外出した時から息子に対して何か罪悪感に近い気持ちがわいていて、授乳の時間をたっぷりとってあげたいなぁと愛おしい気持ちがあふれたそんな日でもありました。

 

 

忘れてしまうには惜しい日々のあれこれ

ふと何かの拍子に思い出す昔の記憶がとても懐かしく、うまく言えないけれど「記憶として片隅に残っててよかった~」と思うことがたまにある。よほど印象的な事柄は、直ぐに思い出せる記憶としてあるのだけれど、そうではない日々に埋もれてしまいそうな日々のあれこれ。。

育児をはじめてから、忘れてしまうには惜しすぎる・・そんな日々のあれこれを書き残したいと思い、blogをはじめることにした。

ゆるやかにおおらかに・・気負わないそんな場所でありたい。