共存するというコト

第一子の産後に、友人の勧めでマドレボニータという産後ケアに1ヶ月間通った。バランスボールエクササイズとシェアリングというワークを組み合わせた構成の1回2時間ほどのクラスで母子で参加できるもの、8組ほどの参加者とインストラクターがひとり。バランスボールエクササイズで体にフォーカスした後に、与えられたテーマに対して自身の気持ちや思いに向き合い言葉にして共有するシェアリングが行われる。この後半のワークに惹かれて、第二子産後も通ってしまった。ここでは誰々ちゃんのママとしてではなく、自分個人の思いや考えや意見を、そして自分が何を選択していくのかを軸に、ワークが展開される。

「子供と共存するということ」 ここで出会ったインストラクターの方からもらった印象的なこのメッセージ。このずっと引っかかっていたメッセージについてもう3年以上も経った今、なんとなくわかり始めた気がして・・その感じを今夜は書き残しておきたいと思う。

昨今、”共存する”なんていったら新型コロナウイルスとの共存ーーが真っ先に頭をよぎりそうな状況だけれど、緊急事態宣言がひとまず解除されたものの今現在の私たち家族の状況は、ほぼ毎日私と4歳息子・1歳7ヶ月娘の3人で過ごし、夜になると夫帰宅、最近は在宅ワークもしばしば。思ってもみなかった新型コロナウイルス感染症のパンデミックで、この4月から予定されていた自身の育児休業からの復職が延期になった。

3月から上の息子は保育園を自粛、4月からは下の娘も息子と同じ保育園に入園予定であったが入園式も中止。そんなわけで日中子供2人とずっと過ごす毎日がかれこれ3ヶ月ほど経過した。・・手元でずっと子育てしてきたママ達にとっては当たり前の日々なのだろう。けれど私にとっては毎日、土日祝日みたいにずっとずっと子供達2人と過ごす日々というのは考えてみたら初めてのこと。コロナが私にもたらした、言ってみたらギフトみたいな時間である。

この乳幼児期に2人とのこんな時間はなかなか取れないぞと、これはもう子供達ともみくちゃで遊んじゃう日々にしてしまえ笑とーー自粛しながらも毎日たくさん遊んで過ごした。せっかくの数ヶ月と・・子供たちの〜したい!に私なりに寄り添っていたーー・・つもり。ギフトとはいえ、育児の背中合わせにはしんどさもあることはもちろん分かっていたのだけれど、力んでいたんだろう、年もある・・体が悲鳴をあげてはじめて身体が疲労していることに気がついた。人生初の帯状疱疹を患ってしまった。

共存の話に戻したい笑。

それがあって以降はもっと足元に意識をおくようなイメージ、そんな風に子供達と毎日を過ごすようになった。下の娘がもっと赤ちゃんだった頃にしていた様に、子供が昼寝したら自分も一緒に昼寝してしまう。上の息子はエンジン全開みたいなパワフル系だから笑、家では決して昼寝はしないのだけれど。言葉のコミュニケーションができる今だから、事情を伝えてママは寝るよと宣言できるし、グズりながらも4歳なりたてなりの理解を示してくれている・・と信じたい笑。遊びも、自粛しながらもなんか面白いことができないかなって、人が多くないそれでいて少し日常から離れた場所はないかなと・・あくまで自分の感覚でそう背伸びして思うのはやめた。玄関先や近所や家の中で遊べる素朴な遊びの中に、もっともっとの遊び込む感じやはしゃぐ姿を見つけられる様になってきた。自分が子供達としたいと思って始めたことにも、やんわり付き合ってもらっている。種から野菜を育てる。毎日の水やりを一緒に楽しめないかと思って始めたけれど、子供達の興味はもっぱら水。これがあるだけでテンションがズドーンと上がる笑。そんなこんなで水やりというよりは、水時間を一緒に過ごす毎日。

自分のしたいことやりたい項目を大々的に掲げないことーー。ただなんとなく頭の中に、できるといいなという項目をうっすら置いておくと、子供達と過ごすせわしない時間の流れの中にも、待っているとその吉日吉時間がやってくる。これを発見できたことが、私の中に共存という引っかかりワードを呼び起こすことができたきっかけかもしれない。

子供達と過ごしながら自分のことも一緒にしてしまうとか、子供達と時間を共有しながらやってくるタイミングに乗ってしたかった事柄の時間に充てるとか・・なにやら共存しているって私にとってはこういう感じなんじゃないかって。

復職してしまうとなかなかこんな時間軸の中で過ごすことはできないのだけれど。子供達とずっと一緒に過ごすことのできる時間・・共存だのなんだの、どうでもいいかという気もしつつーー。かみしめながら過ごしている。


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