さいごのおっぱい

諸事情により、息子が1歳2週間をむかえた時点で断乳することとなった。
この頃の息子の成長度合いは・・伝い歩き、離乳食はかなり咀嚼ができる完了食、発声は多いが言葉のおしゃべりはまだ、という状況。
断乳当日の朝。朝のこの授乳が「さいごのおっぱいであること」を息子に言葉で伝えた。
そのとき少しのあいだ動作を止めた息子の様子は、その言葉になにか引っかかりを感じている様にもみえたし、聞こえない振りを装っているみたいにもみえたし・・・目を合わせてはこなかった。その引っかかりや違和感の正体を、肌で、漂う空気感で、感じていたのかもしれない。しばらく前から心積もりをしていた私と、ある日断乳を宣言された息子・・そんな心積もりの空気感をも幼児なりに察していたか・・・それはわからないけれど。

一日の栄養をほぼ離乳食から摂取している今、授乳の意味合いはスキンシップ・・なのだろうと思う。
これから先、ずっと育児というかたちで息子と向き合っていく中で、この上ないスキンシップが授乳というものだったんじゃないかと思う。
この上ない・・とは、思うに授乳というスキンシップから得られる安心感とか落ち着く感じとか柔らかさあたたかさとは、吸う側にとって胎内に居た時の感じに限りなく近いものなんじゃないかということ。そして与える方にとっては、溢れる想いを表現する最大の行為なんじゃないかと・・・今はそんな風に思っている。

吸うことを自然に止めるまでじっと待ち、もういいの?もうさいごだよ?と聞きなおし・・、さいごのおっぱいは終了した。
ここからもう一仕事・・終了の儀式。
青色の薬液で両胸に顔の絵を書き、それを息子に見せて「これでおっぱいバイバイね」と伝える。やさしいお母さんの笑顔の絵。
それを見た息子の反応は、一瞬立ち止まり、なにか面白そうなものを見つけたかのような表情で顔の絵に向かって来ようとした。
終わりだよと真剣に伝え、わたしは衣服を着た。その後の肝心の息子の様子は正直きちんと覚えていない。自分の溢れてきた気持ちをどうにかすることで精一杯だった。
自然と涙が出て止まらなかった。泣きながら息子にかけた言葉は「ごめんね」。断乳することに対してごめんねと。
止まらない涙の理由は、息子はまだ続けたいだろうに甘えたいだろうに、私の方から少し早めに授乳を終わらせてしまったこと。
息子の様子は、なんとなく大丈夫そうであったことは覚えている。おそらく断乳宣言を聞いたときよりも、顔の絵の儀式よりも、そのあとの涙がとまらない母の姿に戸惑ったんじゃないかと、思う。

宣言後、いつもならここで授乳・・というタイミングになると、猛烈に遊んであげていた。かくれんぼやら追いかけっこやらクッションにダイブやら・・授乳のことなど思い出させまいとエネルギッシュな遊び方で笑。
一度、どうにも寝付けなくて授乳をせがまれた事があった。辛かった。
いつも授乳のときに使用していたクッションを引きずってきて「どうしてコレで準備してくれないのか!」と泣いて泣いて訴えてきた。
ふだんさほど強く泣かない息子が、全身で泣いて訴えてきたあのときの感じは、今も鮮明に思い出すし胸が苦しくなる。。
このときに感じて刻まれた気持ちは、まだまだ短い育児経験の中でも強く印象に残っている。

断乳に関して相談や指導を受けていた桶谷母乳相談室では、助産師の先生から断乳手技後に「おめでとうございます」と言われる。
違和感があった。おめでとうございます・・かぁ、何に対して??と。
わたしなら授乳期間を終えた自分のおっぱいに何て声をかけるだろうか。。
おつかれさま・・かな笑。

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